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家庭にくる電気はなぜ交流?

(2021年11月20日)

 表題の内容は今となっては、誰でも答えられる平凡な問いです。交流なら変圧器を使って電圧を自在に上げ下げできることが理由です。消費地から遠いところに発電所を作り、変圧器を使って電圧を上げて 効率よく人の多い都会まで送り、そこで人体に安全な電圧100V-200Vまで下げて活用できるからです。
 ただ、実用的な電気機器が出始めた頃の歴史をたどると、まずエジソンが直流発電機を発明して直流が一歩先んじていました。一方、2相交流モータを発明したテスラは交流の利便性を説き、2人の直流/交流の激しい優位争いがありました。ちなみに、電気磁気の単位の多くは人名が使われますが、磁束密度の単位は「テスラ」です。

<東欧の天才テスラ>
 交流と直流の話について調べると、必ずニコラ・テスラ(以下テスラ)とトーマス・エジソン(以下エジソン)に行きつきます。特に世界の送電システムを交流化に導いた、天才テスラ(写真右)の功績は避けて通れません。
 現クロアチア生まれのセルビア人であるテスラ(1856~1943)は、苦学してオーストリアのグラーツ工科大学に入りましたが、2年生のときに当時の政治情勢の変化で奨学金が廃止され、退学を余儀なくされてしまいます。
 しかし大学時代に電気の交流に関心を持ち、長い間研究していたアイデアをまとめ、世界で初めて2相交流モータを発明します。1888年世界初の誘導電動機の発明です。東欧の片田舎に住む無名の若者が、それまで誰も実現できなかった難題を解決したことに、世界中の電気関係者が驚かされました。

<エジソンの直流へのこだわり>
 やがてテスラは知人を介してパリにあるエジソン電灯会社の欧州法人に入社します。社長は彼の才能を見抜き、本社のある米国のエジソン研究所の勤務を推薦します。これがテスラとエジソン(写真右)の初めての接点になります。
 一方、発明王エジソン(1847~1931)は2332件もの特許で時代を変え、「魔術師」との異名も囁かれていました。エジソンがあの白熱電球を、世に送り出したのは1879年です。そのわずか3年後には大規模な発電所をニューヨークに開設して、本格的な「電気の時代」の幕をあけました。
 エジソンが考案した発電システムは直流方式で、各地に次々と発電所を建設していきます。競合メーカーを併合し、ゼネラル・エレクトリック社(GE)を設立します。エジソンが直流電力システムにこだわったのは、交流送電の利点は理解していたものの、当時は交流の発電機や変圧器はまだ開発されておらず、交流技術が未成熟と考えたことが理由でした。 

<ウェスティングハウスの関り>
 テスラは従来から交流に活路を見い出していたため、エジソンが進める直流の発電システムと次第に対立するようになります。テスラはもはやエジソンの下では交流方式を実現できないと考え、エジソン研究所を退社しテスラ電気を設立します。
 一度倒産しましたが、ジョージ・ウェスティングハウス(写真右)の支援を得て、交流電力事業を開始することになります。ウェスティングハウス(1846〜1914)は米国の発明家で企業家、鉄道用の空気ブレーキや信号機を発明してヨーロッパ各国に進出していました。電気技術にも関心があり、テスラを迎え入れて ウェスティングハウス・エレクトリック社(WH)を設立し、交流送電の先覚者として後々の繁栄につなげました。

<電流戦争The Current War
 テスラはウェスティングハウスとの出会いがあり、電力システムは交流か直流かという論争に発展します。世にいうエジソンとテスラの「電流戦争」と呼ばれるものです。GE社とWH社の争いでもありました。
 交流電力システムの利点は、高電圧にすることにより遠距離送電が可能になることです。電気エネルギーを遠くに送るとき送電線の抵抗によってその一部が失われることは避けられません。そのため変圧器(トランス)で高い電圧にして消費地まで送電し、これを人体に安全な電圧まで下げて活用するというのがテスラのアイデアでした。
 一方、エジソンは新聞記者たちの前で馬を高圧の交流で感電死させ、大衆に交流への恐怖心を植え付けるなど、およそ発明家らしくない振る舞いもあったようです。約3年に亘る泥沼の対立の後、1893年冬に開催されたシカゴ万国博覧会で交流が全面的に採用され、交流の優秀さを内外に示す結果となったことで大勢は決しました。それまでに交流の発電機や変圧器が開発されたことが大きく影響しました。

 この争いは映画にもなりました。今となって考えれば、世界で交流システムが全面的に採用されるのは、交流なら変圧器で電圧を自在に上げ下げできる のが大きな理由だと、誰しも容易に理解できます。大きな電力の直流には、電圧を上げ下げする能力が本質的にないのです。
 ここで送電線の電圧を高くすると、どれだけ効率的に電気を送れるかを数値で示してみます。電力(電気エネルギー)は「電圧×電流」ですから、同じ電力を送るのに電圧を高くすれば電流は小さくて済みます。送電線の抵抗による電力損失は「電流の2乗×抵抗」ですから、例えば電圧を10倍にすれば電流は1/10になり、電力損失は1/100になります。こうして送電線の電圧は次第に高くなり、日本では最高 50万ボルトや27万5千ボルトが使われています。
 実は、もう一つ交流が優位な現象があります。電力系統では地絡事故などのとき、速やかに電路を遮断しなければなりません。交流は50Hzあるいは60Hzの周期で電流ゼロの瞬間があります。このゼロの瞬間を狙ってショックの少ない遮断をすることは容易です。一方、直流では常に電流が流れておりゼロの瞬間がないため、大電流を強制的に遮断するしかなく遮断失敗のリスクが大きいのです。


<日本の1国2方式 50Hz-60Hzの誕生>
 余談ですが日本でも電力事業を立ち上げようと、東京と大阪で電灯会社の立ち上げが始まります。当時の東京電灯(現東京電力)は、エジソンによる直流方式の採用を考えました。ただ、最終的には東京電灯も交流方式に追随することになり、導入したのはドイツ製の発電機で50Hzでした。欧州の周波数はすでに50Hzで統一されていました。
 一方、大阪電灯(現関西電力)は、米国で次第に交流方式が優勢になるにつれ、交流方式の採用に傾きます。そしてWH社からのライセンス供与を受けて、GE社製の発電機を導入したため、大阪は60Hzとなりました。いうまでもなく米国は60Hzです。
 これが世界でも例をみない、日本だけの周波数50Hz-60Hzの併存です。歴史に「タラ」はありませんが、これは日本の電力事業における歴史的な大失敗といえるでしょう。周波数が異なると互いの電力の融通が容易ではないのです。


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